使用者の災害補償責任と損害賠償責任
うつ病など精神疾患の労災請求件数は2009年度に初めて千件を超えて高止まりしており、認定件数も最高水準に達しています。精神疾患事案の件数はいまや脳・心臓疾患事案よりも多くなりました。
労働基準監督署長が労働災害(労災)と認定したということは、使用者の災害補償責任が肯定されたということです。
労働基準法上の災害補償責任と民法上の損害賠償責任は成立要件がイコールではありませんが、責任発生の基礎となる長時間労働やパワーハラスメントなどのストレス要因は共通しているので、労災認定がなされたことは使用者の損害賠償責任が肯定される可能性が高まったといえます。
労災申請と同様に、精神疾患・過労死事案において、使用者の労働時間管理等に問題があるとして、使用者の損害賠償責任を認めた裁判例が増加しています。パワハラが原因による事案も増えてきており、残業とハラスメントとの相乗作用が認められるので、問題はますます深刻化しています。
労働者側から損害賠償請求をされた場合、法的紛争を解決するには、労使双方にエネルギーを消耗しますし、コストや時間もかかります。
そこで、使用者としては、人事労務管理の態様がどのような場合であれば労働災害と認定されるのかを見極めなければなりません。
その上で、使用者は、メンタル労災や過労死の損害賠償リスクを回避するため、安全配慮義務を履行する必要があります。
使用者の安全配慮義務違反が損害賠償責任の根拠に
安全配慮義務は、自衛隊員が事故死した陸上自衛隊八戸車両整備工場事件で言い渡された最高裁判決により、特別な社会的接触の法律関係(労働契約を含む)に入った当事者間における信義則上の付随義務として認められました。
最高裁判例は、安全配慮義務につき、「国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務」と定義しました。この安全配慮義務に違反した場合は労働契約上の付随義務に違反したということになり、使用者は債務不履行責任を負います。
労働契約法5条はこの判例法理を明文化しました。同条は、労働者の「生命、身体等の安全」と規定していますが、これには心身の健康も含まれます。
若手社員が自殺した電通事件で言い渡された最高裁判決は、過労死に関する安全配慮義務につき、「雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務」と定義しました。
そこで、使用者が労働災害を発生させて、労働者が怪我を負い、また病気に罹患した場合、不法行為または債務不履行により損害賠償責任を負うことになります。使用者の義務を、不法行為では注意義務、債務不履行では安全配慮義務と表現しますが、裁判実務上は義務の内容について特段の区別をしていません。
法令の規制が安全配慮義務の内容に
労働基準法や労働安全衛生法は企業を取り締まる公法的規制ですが、これらの法律が注意義務または安全配慮義務の内容にもなり、私法的に規制されます。刑罰が科される公法よりも安全配慮義務の範囲は広いので、単に法令を遵守しているだけでは企業の義務を果たしたことにはなりません。
例えば、残業が月80時間超の「過労死ライン」を下回っていればよいというわけではなく、パワーハラスメントの防止(体制整備を含む)も安全配慮義務の内容になります。パワハラが原因で労働者が自殺した場合、企業自体は、パワハラという行為自体では処罰されないものの、遺族に対して高額な損害賠償責任を負うのです。
具体的な状況により定まる安全配慮義務
しかも、安全配慮義務は、業務内容や就業場所、健康状態等の具体的状況によって定まると述べたのが、宿泊勤務中の従業員が窃盗目的で侵入してきた元従業員に殺害された川義事件の最高裁判決です。そのため、具体的な安全配慮義務は、労働者ごとに義務の内容が異なり、また同じ労働者でも場面によって変化するのです。仮に労働時間が長くなくても、個別労働者の健康状態や業務負荷への配慮が不十分である場合は、安全配慮義務違反が認められる可能性があります。
法的問題以外に、企業の外部環境ではステークホルダーに対するイメージや信用の低下、内部環境では労働者個人のモチベーションや職場集団のモラールの低下を招くので、ハラスメントや長時間労働を防止する対策を実行することが肝要です。
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