健康な働き方と企業の経営戦略

 労使間の信頼関係を構築した企業経営をすると、労働者のメンタルヘルスケアにつながります。健康な働き方を経営理念に位置づけて労働者と共有することが、労働者個人のモチベーションや職場集団のモラールを向上させ、企業の持続的な成長に資すると考えます。

 経営戦略面での改善が人事労務という機能面の改善に繋がること、職場のメンタルヘルスケアを人事戦略にとどまらせず経営戦略に格上げすることが、企業の持続可能な発展に資することになります。

 以下では、企業の社会的責任(CSR)やビジネス倫理の観点も踏まえ、拙論を述べます。

 

1. 労働者の健康の維持・向上と企業の持続可能な発展

 経営者は売上や利益を上げ、株主の価値を最大限上げることが使命の一つとなります。

 それでは、企業は法令遵守だけをしていればよいのでしょうか。ハラスメントを例に挙げると、パワーハラスメントの行為自体を直接禁止する法律はなく、ハラスメント防止による労働者の人格権侵害を防止したり、精神的健康を保持したりするためには、法令を遵守しているだけでは足りないということになります。

 また、法令遵守とともに、リスクマネジメントを実行すればよいのでしょうか。

 長時間労働や労働者の健康についていえば、リスクマネジメントの観点から、長時間労働による残業代請求、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求、企業のイメージダウンによる株価の低下や営業機会喪失、傷病欠勤・休職による人材の損失、メンタルヘルス不調による業務効率の低下や事故・ミスの発生などのリスクを避けるといったことが強調されることがあります。しかも、紛争を解決するには、労使双方にエネルギーを消耗しますし、コストや時間もかかります。この消耗を避けるため、また長時間労働防止やメンタルヘルスケアはそれよりも少ない費用で可能となることから、過労死をリスクと捉え、最小の費用で危険を防止することは、リスクマネジメントとして肯定されますし、営利という目的からも必要でしょう。

 しかし、労働者を危機管理の対象とのみ捉えるのは企業の目線によるマネジメントともいえます。経営資源として、「ヒト」、「モノ」、「カネ」および「情報」が挙げられますが、これらの資源を動かして利潤を生み出している最大の資源は「ヒト」です。労働者そのものを危険視することは、人的な信頼関係を基礎とする労働契約関係になじまないとも考えられます。

 経営者が利潤重視に傾きすぎると、しわ寄せが労働者に行くことになります。近時の重大災害が発生する原因として、安全衛生対策に投じる経費の削減、熟練労働者を中心とする人員減少、労働者の安全意識の低下や設備の老朽化などが指摘されています。

 ところで、企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility,CSR)は、オープンシステムである企業が事業を遂行するに当たり、利益を上げて株主への配当を維持するだけでなく、また法令を遵守するだけでなく、社会の中で企業市民として、様々なステークホルダーとの関係を考慮しながら経営をする責任といえます。

 ステークホルダーは、株主、顧客、取引先、消費者、地域社会だけではありません。企業が雇用する労働者も、経営資源の「ヒト」として労働契約を締結している以上、企業に対して利害関係を持っているのであり、株主などとともに、企業の存続や成功に不可欠な集団の一翼を担うステークホルダーです。

 また、事業により売上や利益を獲得しつつ、事業を通して社会的課題を解決するとの考え方(Creating Shared Value,CSV)も重視されています。

 とすれば、CSRやCSVの観点から、企業は、あるステークホルダーの集団である株主を優先して利益のみを図り、他のステークホルダーの集団である労働者の生命や健康を犠牲にするべきではありません。

 経営者は、企業を社会的存在として運営していく際、ステークホルダー間の利益の均衡を保たなければならない責任を有しています。少子高齢化の時代においては、法令を遵守するだけでよいとか、労働者のうつ病をリスクとして捉えて危機管理対応をしているだけでは不十分です。労働者の健康な働き方を追求することを打ち出していくことが、社会的課題の解決になるのであり、企業の社会的責任でもあります。

 これにより、労働者の満足度やロイヤルティが高まって定着率や労働生産性が向上し、株主や消費者など他のステークホルダーに対する評価や信頼(企業ブランド)が上昇します。結果として、企業の持続可能な発展に資することになるでしょう。

 

2. 「ヒト」の強みとステークホルダーとの信頼関係

 経営戦略(企業戦略=成長戦略)を立てる軸として、経営理念や経営ビジョンが確定されなければなりません。企業の社会的責任(CSR)を果たすための使命として、ステークホルダーである労働者の利益に配慮することが挙げられ、これが労働者の健康を守るという経営理念になり得ます。他方で、経営者は株主の利益も図らなければなりませんので、労働者には元気で働いてもらい、労働生産性を向上させて売上高や利益を増加させる必要があります。

 労働者に長時間労働に従事させることにより、疲労を蓄積させて健康障害を引き起こすという結果は、労働者の自己実現にとって不幸なことです。労働者がメンタルヘルス不調に陥ると、作業効率や集中力・注意力が低下し、労働生産性が下がりますが、これは、企業にとって、そして他のステークホルダーである株主にとっても不幸です。

 不幸な転帰を回避するためには、快適な職場環境を実現して労働条件を改善し、労働者の健康を確保することが必要です。これにより、社会へ貢献する具体的な姿を社内外に示すことが経営ビジョンになります

 そして、経営戦略の策定に当たっては、自社の現状分析をすることが重要となります。外部環境と内部環境に分けて環境分析をすることが一般的ですが、労働者の健康は内部環境に位置づけられます。経営資源である「ヒト」は、従業員の事務処理能力や営業能力、取引先・顧客との関係構築などが重要な要素となります。労働者が健康でなければその能力は低下するでしょうし、取引先や顧客との信頼関係も築けないでしょう。これが内部環境における自社の「弱み」となります。この「弱み」を見誤ったまま環境分析をすれば、経営戦略も現状を認識できていない誤ったものとなり、顧客ニーズの上昇や競合他社の出遅れといった外部環境において取引の「機会」があったとしても、これを逸することになります。

 逆に、労働者が健康に仕事をしており、職場内の意思疎通ができているのであれば、組織の活性化が図られるので、それが内部環境における自社の「強み」となり、市場や顧客に対して積極的な攻勢を掛けることができるようになります。

 また、労働者がうつ病を発病すると思考力や集中力が低下するとともに、欠勤、休職、退職した場合には企業にとって損失となります。他方、人材流出や残業代を減らせば低コストとなり、さらに労働者の健康を保持して職場のモラールが向上すれば、自社の製品やサービスが高品質化するとともに、顧客や取引先との関係を良好にして企業のイメージや信用が向上するでしょう。

 「ヒト」を雇うということは、企業と労働者との継続的な信頼関係が基礎となります。とすれば、「信頼」を基礎とした過労による健康障害の予防策が必要ではないでしょうか。企業と労働者との関係も千差万別であり、マニュアル通りにいかないことが多いでしょう。そうであっても、信頼関係を基礎に労働者の健康を守るという経営理念を打ち立てて、そこから具体的なケースにおける対処法を考えていくことが肝要です。

 この観点から、計画、実行、評価、改善というPDCAサイクルにより、経営理念と経営ビジョンの実現に向けた取り組みをしましょう。

 

3. 労働者の健康を守るための組織マネジメント

 労働者の健康を守るという経営理念を達成するため経営計画を実行するには、経営資源の一つである「ヒト」を重視するとしても、やはり他の経営資源である「モノ」、「カネ」を有機的に関連づけて、経営資源を有効に活用するには、組織マネジメントが必要になってきます。

 組織を成立させるためには共通目的が必要ですから、まずは経営理念や経営ビジョンが労働者にまで浸透していなくてはなりません。この理念等は経営者から明確に打ち出さないと、労働者には伝わりません。理念やビジョンが周知されると、労働者が自身の働き方に関する指針となり、健康の保持増進につながるでしょう。

 そして、組織マネジメントにおいては、経営資源である「ヒト」が組織の共通目的貢献するための意欲を高めなければなりませんので、ステークホルダーである労働者を重視する視点を忘れてはいけません。

 他方、企業組織の構成員である労働者が個人プレーに走れば経営ビジョンの実現は覚束ないものとなります。指揮命令や情報の伝達経路が機能していなければならず、コミュニケーションが円滑でなければなりません。そのため、労働安全衛生法上の衛生委員会等での情報共有が必要となります。

 企業は、日本の社会という外部環境の中に実在し(オープンシステム)、将来にわたって営業活動を継続していきます(ゴーイングコンサーン)。経営戦略は、その外部環境との関わり方、将来における方向性や在り方を示すものです。株主利益の追求は、短期的には必要であったとしても、長期的には顧客や取引先、地域社会の信用を低下させかねません。ステークホルダーである労働者の健康を守ることがイメージダウンを防ぐ方策の一つであり、それが労働者に幸せをもたらし、顧客や取引先にも幸福をもたらして、企業の持続可能な発展に繋がっていくものと考えます。


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