貸付金制度をめぐる詐欺行為と懲戒処分

 会社の貸付金制度により、病気の治療費に充てるとした社員に貸付けを行ったところ、後日、その金銭は治療費だけでなく、一部を旅行資金に充てていたことが判明した場合、貸付金が返済されていても、虚偽の申請をした当該社員に懲戒処分を課すことはできるでしょうか。

 当該社員には詐欺罪が成立する可能性があります。

 人を欺く行為(欺罔行為)は、財物や財産上の利益を処分させるような錯誤に陥れる行為をいいます。

 この錯誤には、財物等を処分する動機に錯誤がある場合も含みます。したがって、金銭を貸し付けるという行為に錯誤がないとしても、会社が病気の治療費として支払われると誤信した場合には錯誤に当たります。当該社員が金銭の借り入れを申し込んだ際、治療費だけでなく、その一部を旅行資金に充てることを意図していた場合、会社が治療費に必要な金員(財物)を貸し付けるよう錯誤に陥れる欺罔行為に当たる可能性があります。

 既に返済されていたとしても、詐欺罪が成立する余地は否定できません。

 刑法上、詐欺罪が成立するとまではいえないとしても、当該社員が当初から貸付金の一部を旅行資金の不足金に充てることを意図していた場合、会社と社員との金銭貸付けの契約は、会社が詐欺による取消しができ、病気の治療費として無利息で貸し付けるという動機に錯誤があるとして無効の主張ができます。また、本来、旅行資金を貸し付けるのであれば利息を付したのに、当該社員の欺罔行為により利息分の損害を受けたというのであれば損害賠償請求をすることもできます。

 これらは刑法上、民法上の法律関係であり、このことから直ちに会社が当該社員に懲戒処分を課すことにはつながりません。

 懲戒処分は、企業秩序違反に対する一種の制裁罰ですから、企業秩序が乱されたという事実の発生が必要です。病気の治療費に貸付金の全部または一部を充てないことを意図して虚偽の申請をすることは、一般的に企業秩序が乱されたと評価してよく、また、金銭が絡む労働者の不正については厳しい態度で臨むのが一般的です。

 とはいえ、旅行資金に充てたのが少額である、虚偽申請による借入は初めてである、既に完済していて会社に実質的な損害がない、当該社員の職務上の地位が指導的な立場にないなどの事情が認められるのであれば、懲戒解雇ではなく、それよりも軽い減給や出勤停止、あるいは戒告を検討した方がよいでしょう。

 このような判断をするためにも、人事担当者は十分かつ詳細な調査をすべきであり、当該社員に弁明の機会を与えなければなりません。

 これに対し、当該社員が当初は全額を病気の治療費に充てるつもりであったが、たまたま思っていたよりも治療費が安く済んだので、旅行資金に充てたという場合はどうでしょうか。

 会社との契約上、使途が厳格に定められていない、事後に使途に関する報告(領収書の写しを提出するなど)をする必要がない、費用が少額で済んだ場合には残額を即時返金する必要はなく、当初の約定どおりの返済をすればよいというのであれば、刑事上、民事上の法律問題は生じませんし、企業秩序が乱されたともいえないでしょう。

 これに対し、会社との契約上、使途が病気の治療費に限定されている、事後に使途に関する報告をしなければならない、費用が少額で済んだ場合には残額を速やかに返金しなければならないということが決められていたのに、当該社員が病院が発行した領収書を変造するなどして虚偽の報告をして返金をせず、無利息で借り続けたというのであれば、詐欺罪が成立する可能性があります。

 また、当該社員が積極的な虚偽報告をしないとしても、貸付金の使途が限定されており、その金員の所有権が会社に残されていると評価できるのであれば、残金が発生して直ちに返還義務が生じたのにこれを領得して旅行資金に充てたということになり、横領罪が成立するとも考えられます。

 これに対し、民法上は、刑法と異なり、金銭の所有と占有が分離するとは解釈されておらず、金銭のような代替物については占有者が所有権を有すると解されているので、単に残金返還義務を履行しないという債務不履行が生じることになります。この場合、会社は、当該社員に対し、損害賠償請求をすることになります。

 刑法犯が成立するかどうかは別として、当該社員が事後であっても虚偽の報告をしたというのであれば、金銭が絡む不正行為である以上、企業秩序が乱されたといえ、懲戒処分が検討されるべきです。

 この場合も、人事労務担当者としては、旅行資金に充てた金額や動機、当該社員の職務内容、職位などの事情を十分かつ詳細に調査し、社員に弁明の機会を付与した上で、どのような処分を課すのかを選択すべきです。

 

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